皮膚の歳時記

世田谷区の皮膚形成外科、千歳台きたのクリニックです。季節の変化と皮膚の健康の関係は切っても切り離せません。季節ごとの皮膚のお話をちょっとずつお伝えします。
EEE
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    電子カルテの導入は、思いのほか力仕事となり、6月前半は全く休日がありませんでした。
    ようやくひと段落し、狙い通りのサクサク診療がかなうようになったところで一休み。

    と、高校3年の次女が得意そうにある本の内容を披露した。

    Easy(簡単にできて)
    Effortless(努力していると感じない)
    Enjoyable(楽しい)

    これら3つの形容詞の頭文字を並べてEEE。
    マイケル・レイとかいう人がスタンフォード大学の講義で、ビジネス成功のキーワードとして言った言葉だそうな。

    何のことはない、一生懸命数学の勉強をしてきたのに、模試で思うように点数を取れない現実に泣いていた娘が、
    ある重大な決定を下すにあたり、彼女の背中を押してくれてしまった言葉である。
    その結論とは、

    苦痛な数学を捨てる。
    得意な分野(語学、しゃべくり)に集中して受験に賭ける。

    根っから数学至上主義の両親はあっけにとられてしまった。
    あくまでも受験数学の範囲の話であるが、
    数学ほど楽しく、ロマンと喜びにあふれ、やりがいのある科目はない、と信じ切っていた親にとって、
    「数学が苦痛」と言う感覚が分からない。
    姉だって、数学が得意だったではないか・・・

    まてまて、子供にはそれぞれ神様から与えられた適性と言うものがある。
    それを的確に見出して適切な方向へ送ってあげるのが親の役目ではないか。
    たとえそれが親の想像を超え、理解できないものであっても、子供の楽しみ・喜びが導いてくれる方向を正しい方向として認めてあげるべきではないか・・・

    などと、親が煩悶するのを尻目に、娘は早々と「EEE」に導かれるまま、
    一日にしてルンルンと理系の道を断ってしまったようだ。

    まあいいや。「将来の成功」のために今の「苦痛」を我慢するという考え方は、私自身、不得意である。
    今、生きている時間を生き生きと過ごすこと、それが、未来の自分を形作る(と信じたい)。

    EEEのeffortlessとは、「努力せず」ではなく、「苦痛なく」というニュアンスに近いのだろう。
    加えて、「肩凝りなし」の和訳を付け加えたい。
    努力・頑張りには、良い努力・頑張りとあまり良くない努力・頑張りがあると思う。
    現実には両者の見極めはしづらいが、
    私の場合、「悪い」ほうの努力の結果は、「肩凝り」となって現れる。
    ふだん殆ど肩凝りを感じない私が「肩凝り」を感じる時は要注意である。
    なにか無意識に悪いものと格闘している証拠である。
    そういう時は、何が私の生活に張り付いているか、じっくり考えて、対策を練らなければいけない。

    ここ10日ほど、珍しく肩凝りに苦しめられていたが、ようやく終焉を迎えつつある。
    電子カルテのセッティングは楽しかった、と自分では思っていたが、見えない魔物が取りついていたのだろうか・・・?


    | kitanohifukei | あれこれ | 22:42 | - | - | - | -
    6月からの変更点
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       明日から6月。
      当院では、6月から、いくつかのことが変わります。

      1)紙カルテから電子カルテになります。
      4年前開院した時にも、電子カルテをチラッと検討しましたが、その時は従来の紙カルテでスタート、と決定しました。理由は、開院までの間に十分選定・練習する時間がなかったこと、新規開院とという未知な出来事に対処する祭は、実診療への集中度を上げるために、慣れたシステムでスタートするほうが良いと考えたこと、1社だけ電子カルテを触らせてもらったところ、とても臨床の現場に耐えられる出来ではなかったこと、などです。
      4年を過ぎ、用意したカルテスペースがだいぶ少なくなりました。また、紙カルテの問題点がいくつか見えてきました。電子カルテの会社を5社ほど検討したところ、4年前に比べて格段にシステムが良くなっていました。以上をもって、思い切って電子カルテに切り替えることにしました。すでに紙カルテがある患者さんは、紙カルテ電子カルテ併用となります。明日から数日は、慣れない作業に少しごたごたするかもしれません。ご迷惑をおかけする際はご容赦ください。

      2)土曜午前体制が変わります。
      いままで土曜日午前に一緒に診療してくださっていたチータム先生が、祖師谷に開業されるため、お辞めになりました。ホームページの診療予定表では、土曜午前は私一人が担当となっていますが、実際は私のほかに医師が2人いますので、医師3人体制です。一人は夫の良博で、他の時間帯と同様、彼の得意分野の患者さんを診てもらいます。もう一人は、木下佳保里先生という私の後輩の若い女医さんです。しばらく診療補助の形で入っていただきますが、ゆくゆくは患者さんと接していただくことになると思います。

      当院は狭い割に職員が多いので、とても人口密度が高く、暑苦しく感じられるかと思います。申し訳ありません。土曜日などは、あの狭いスペースに7名いることになります。医療機関はどうしても人手がないと十分な医療をできませんので、人数が増えてきたのは自然の流れともいえます。

      電子カルテには、紙カルテシステムが内包する事務仕事の負担を軽減し、より患者さんと向き合う時間が増えることを期待しています。
      | kitanohifukei | あれこれ | 10:46 | - | - | - | -
      祖師谷みちクリニック
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         昨日の土曜日は、当院におけるチータム倫代先生の診察の最終日でした。

        チータム先生は、私の大学医局時代からのお友達で、以前私が雇われ院長を務めていた金町時代から、週に1回、私のクリニックで、診療を担当して下さっていました。

        私が平成19年に千歳台に開業した後、土曜日の診察が私一人では患者さんを長時間お待たせする事態になった状況を訴えると、さっそく翌週から、診療に来て下さいました。
        私が自分の手術で2週間入院した時も、お忙しい他院での勤務の合間に、地域の患者さんの治療が途切れないようにと、診療に来て下さいました。
        そういう経緯で、何かと私が大変な時に救いの手を差し伸べてくださった先生です。
        長い間、本当にありがとうございました。

        チータム先生は、6月中旬から下旬に、「祖師谷みちクリニック」を商店街のセブンイレブンの2階に御開業の予定です。これからも姉妹関係のクリニックとして、助け合ってゆきたいと思います。

        昨年末に、祖師谷の皮膚科の先生が廃業されたため、患者さんが遠くから当院へ受診されていました。
        30分ぐらいかけて歩いてきて下さった患者さんもいらっしゃるのでは、と思います。
        足の悪い患者さんにとっては、大変なことだと思います。
        チータム先生のクリニックが出来たことで、助かる方は多いのではないでしょうか。
        お近くにお住まいの方は、ぜひご受診ください。
        | kitanohifukei | あれこれ | 15:23 | - | - | - | -
        遮熱カーテン
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           今日、待合室と奥の診察室の窓に遮熱カーテンを取りつけました。
          当クリニックの待合室は真西に窓が大きく開いており、午後2時半から4時までの間は、窓のロールカーテンを通して太陽光が伝わってきます。
          昨年まではエアコンをきかせて快適温度に調節していました。

          しかし、西日の力はなかなか強い。
          室温を28℃ぐらいにしたい場合、エアコン設定温度が28℃だと、室温は33℃ぐらいまで上がってしまいます。真夏は28℃の室温を得るために、エアコンの設定温度を24℃にしなければいけなかったのです。

          今年はこういう年ですから、出来るだけ早く対策を、と思い、火曜日に東急ハンズで遮熱グッズを買ってきました。
          なるべく簡単に取り付けられるよう、窓枠にツッパリポールを渡し、ポールがカーテンの重さで落ちないように、軽い「遮光・遮熱カーテン裏地」を取りつけました。
          待合室はかなり暗く、ひんやりした感じがします。
          蛍光灯をつけなければいけないのは、やむをえませんが、エアコンの消費電力量の大きさにくらべると、蛍光灯の消費電力量はかなり少ないのではないかと思います。

          この「遮光・遮熱カーテン裏地」、一枚(100cmx133cm)で1700円でした。本格的な遮光カーテンに比べて、軽くて扱いやすく、値段も安い優れモノだと思います。

          | kitanohifukei | あれこれ | 21:04 | - | - | - | -
          あれこれ(題名なし)
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            人間が「叡智」を集めて創造した巨大かつ複雑なシステムが、巨大かつ複雑なゆえにカタストロフに陥るするストーリーは、バベルの塔をはじめ、枚挙にいとまがない。
            特にこの100年ほど、「科学技術」が導いてきた夢の未来都市構想が我々をどこに導いてゆくのか。載ってゆかなければ置いてゆかれるという不安と、こんなに人工的な生活をして大丈夫なのかという不安。「技術」に頼れば頼るほど、期待の裏側にある不安をちらと感じてきたような気がする。

            高度先進医療によって恩恵を受ける患者さんは非常に多い。
            4重5重に張り巡らされた安全装置によって生命を維持していらっしゃる方にとって、原発が「4重5重の安全装置によって守られていたはずなのに」一瞬にして丸裸にされたことは、大きなショックだったと思う。
            複雑な人的・機械的システムによってしか維持されない安全さとは、基本的に綱渡り、はかないものである。
            そのシステムを維持するのは、機械や建物という「モノ」であると同時に、そこで働く人間である。
            今話題になっていることの中心は、「モノ」のほうの安全基準がどうであったかということだが、同時に、いやそれよりも、そこにかかわる人の心と体の健康、もののみかたの健全さがどうであったかということが問われなければいけない。
            職員に心の病気を多発させる職場や、反対意見に対して封じ込めという手段でしか対応しない職場がこの世の中にはあるようだ。崩れるのは建物だけではない。
            | kitanohifukei | あれこれ | 10:22 | - | - | - | -
            御用学者
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               原発問題では、いわゆる「原発御用学者」への批判もちらほらでてきている。
              今朝の東京新聞では、
              「真理の探究を捨て」「特定業種の利益追求にお墨付きを与えてきた」
              「危険性への学問的指摘は無視され」「主流派は危険を想定しようとしなかった」と、客観的であるべきはずの学者に対する厳しい批判が書かれていた。

              学者ではないが、技術者のインタビューでも「会議で危険を指摘したが無視された。自分は憤然と退職し、現在原発反対活動を行っている」という記事をいくつか読んだ。

              悲しいのは、これらのマイナーな慎重派の意見がメディアで大々的に紹介されるのは「事が起こってから」であるということである。我々は残念なことに、メディアを通してしか裏事情を知ることはできない。
              いや、もしかしたらこれらの人々は、これまでも本の出版やポスターでささやかに主張を続けていたのかもしれないのだが、事故が起こらない平穏な状況では、注目されることも少なかったのであろう。
              事故前にこの人たちの書いたものを読んだとしても、どれだけ現実味を持って心に響いたかはわからない。もしかしたら、この人たちの意見はノストラダムスの大予言程度に受け止められていたのかもしれない。

              もうひとつ、このような報道で感じることがある。
              上記のように、技術者の中にも、慎重派が確かに存在した(らしい)。しかし、彼らの多くは職場に残ることが出来なかった(しなかった?)。退職して、現場を離れてしまった。
              そのような人が現場に残ってくれていたならば、今回ももう少しスムーズな解決法があったのではないか?という感想である。

              日本と米国の研究室で10年ほど、下っ端として籍を置いていた私にも、何となく「学者の世界の空気」が理解できる。
              基本、「流れには逆らってはいけない」「イケイケムードの分野には乗るべし」という空気がある。
              その研究分野の存在自体に否定的な意見を言うこと自体、ありえない話である。
              「この研究に否定的ならば、あんたはどうしてここにいるのだ?」という論理がある。反対派には居場所がない。巨大な圧力の前には身を屈するか逃げるか、どちらかの選択をとるしかない。
              プラント開発プロジェクトの雰囲気も大方そんなものではないだろうか。
              推進にくぎを刺そうとした技術者が退職したのには、こんな背景があるのでは?と想像する。

              普通、日常の生活や経済活動では「想定外」ばかり考えているわけにはいかない。
              そんなことを「日常」で考えていると、すべての活動がストップする。
              コンサートや旅行に行けなくなったり、食べ物を買えなくなる。
              想定外に対する構えは、専門家の責任範囲である。
              医療という専門分野の専門家である自分にも、いましめとなることが多い。
              | kitanohifukei | あれこれ | 11:15 | - | - | - | -
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