皮膚の歳時記

世田谷区の皮膚形成外科、千歳台きたのクリニックです。季節の変化と皮膚の健康の関係は切っても切り離せません。季節ごとの皮膚のお話をちょっとずつお伝えします。
いちごショート
0

    ここ数日の温かさのおかげで、ようやく咲きました。サカタのタネ・ロングランパンジー「いちごショート」。

    いちごショート

    http://www.sakataseed.co.jp/product/search/code00905511.html

    昨年の夏、生協で種を購入し、涼しくなったら種をまこうと思っていたのに、すっかり忘れて、11月に播種となりました。
    サカタのロングランシリーズは、11月には咲きはじめ、長期間咲いてくれるのが特徴なのに、まくのが遅かったため、初めの花もこんなに遅くなってしまいました。
    でも、かわいい 
    うちのはちょっと白みが強いかな・・・
    寒い冬を小さな体と弱々しい根っこで何とか乗り切りました!
    新しい生命は、希望を与えてくれます。


    | kitanohifukei | - | 22:20 | - | - | - | ログピに投稿する
    ステムセラー
    0
       もう何年も前から、「幹細胞」を使った「夢の医療」は、最先端医療の話題の中心です。
      とくに、ES細胞の倫理問題を解決したiPS細胞への期待はものすごく、
      この細胞が将来、重大な疾患を救ってくれるのではないか、と熱い視線が注がれ続けています。

      「幹細胞」とは、いろいろな細胞のルーツのトップにある細胞です。
      幹細胞の特徴は、「この細胞から、多種類の細胞や臓器へと分化させることができる」ことと、
      「幹細胞の無限な自己増殖。すなわち、自分と同じ幹細胞の複製をいつまでもつくり続けることができる」こと。
      つまり、栄養を与えさえすれば、どんな臓器でもエンドレスに作り続けることができる、打ち出の小づちのようなものです。
      ついでに言えば、増殖と分化をコントロールできなければ、「癌細胞」と同じです。

      私が30歳で大学院へ入学した当時は、世の中全体が「幹細胞」による「臓器づくり」をしようと、動き始めた時代でした。
      そのころ、「切手の大きさの皮ふから新聞紙2枚分の皮ふが培養できる」ことが新聞に載り、
      重傷熱傷患者さんへの皮膚移植への画期的治療として臨床応用が始まっていました。

      私が大学院へ入学した時に、教授に語られた夢は、
      「培養皿の中で耳が作れないかなあ」。
      大学では小耳症という、耳の軟骨が足りない疾患を扱っていました。
      幹細胞を増殖させ、耳の軟骨へ分化させ、体に移植すれば、多くの患者さんに喜ばれるはずです。
      若かった私は、「よし、そんなに人を幸福にできる研究ならば挑戦してみよう」と思い、研究生活に入りました。
      37℃に保たれた培養器の中の、はかない半透明の培養細胞たちは、たとえようもなくミステリアスで、多くの潜在的能力を持っているように見えました。
      そこへちょっと、カルシウムを加えたり、いろいろなエキスを加えてあげると、皿の中で脂肪・骨や皮膚へ分化します。
      培養皿の中で、細胞をいろいろな臓器へと分化誘導させてあげることは、割と簡単にできてしまうのです。

      問題はそこからです。
      「分化能力」のある細胞ならば、当然、マウス、ラット、ラビットなどの実験動物の中に入れてあげれば、どんどん脂肪細胞や骨になってくれそうなものです。
      それが、なかなか、うまくゆかないのです。

      本日は、日本の研究グループが、人間の毛から採取した幹細胞を毛の生えていないマウスに移植して、見事に毛をはやすことに成功したというニュースがありました。
      本日の記事の実験で注目すべきなのは、「いったん体外でバラバラにした細胞」を「体外で毛の形に再構築して」移植すると、「あたかも元の毛と同じようなふるまいをした」という点です。
      移植に成功したという事実は素晴らしく、
      脱毛症解決への道が開けたかのように見えます。

      臨床応用するためには、免疫の問題がありますので、自分自身の幹細胞を移植する必要があります。
      (ニュースの実験では宿主が免疫不全マウスだったので、免疫の問題はありませんでした。)
      すなわち、自分に残されたわずかな毛を採取し、幹細胞を取り出し、移植する必要があります。
      しかし、1本の毛が1本の新たな毛を生み出すのでは意味がありません。
      つまり、この実験系を臨床応用するためには、毛の幹細胞を幹細胞のまま増やす技術が必要となります。
      私の理解が間違っていなければ、同じ幹細胞でも「毛の幹細胞」はiPSやESと異なり、自己増殖させることに成功していません。分化の方向も決まっています。
      上で書いた「幹細胞」の定義とは少し違い、「前駆細胞progenitor cell」と呼ぶほうがふさわしい細胞です。
      本当に「毛を増やす」には自己増殖能が必要。だからiPS細胞が注目されているわけです・・・

      2000年ごろから、幹細胞(あるいは前駆細胞)を利用した移植実験や臨床が成功したとのニュースが時折流れますが、どうやら、持続的に臨床で使われるに至ったものはなさそうです。
      かつてこの世界は「期待が買われた」時期があり、巨大な投資が動きました。また、バイオビジネスと非常に密着した研究分野でした。
      1999年ごろにアメリカで研究していた時期は、さかんに「promising」(期待が持てる)という言葉が交わされていました。(最後のほうでは、promisingという言葉を聞くと、「またpromisingか」と、夫と一緒にまゆに唾をペロッと着けていました。)
      最近ちらと当時の研究がどのような発展を遂げたかを見たところ、2000年ごろからほとんど進歩なく、当時のラボのボスも研究対象を乗り換えています。
      私自身は8年の研究ののち、自分の人生の中で、このような問題を解決するのは無理だろう、
      この世界で格闘していても、私自身が誰かを助けることはできないと判断し、
      もっと「『確実に』人のためになる」臨床に戻ろうと考え、研究をやめました。

      幹細胞関連研究は、「錬金術」と似たようなところがあります。
      幹細胞を自由に牛耳ることができるようになれば、生命や臓器の「創造主」になることができます。
      幹細胞研究とはそのような魅力があり、野望の対象となっています。
      巨大な研究費をかけた割には、良い結果が出ないのも錬金術とそっくり。
      でも、かつて、「錬金術」に魅せられた人たちが、「金を作る」目的には成功しなくても、派生的にいろいろな科学技術を編み出したように、幹細胞研究の副産物として有意義な研究結果や技術開発が生み出されたことも事実。
      私自身への副産物としては、「とことん調べる」「懐疑的になる(新し医療情報をすぐに信じない)」「トラブルシューティング(壁にぶち当たったら何とか乗り越える)」が身についたことかなあ。

      「錬金術」に関しては、中学生の時に夢中になって読んだガモフの科学読み物では、ものすごいエネルギーをかけて原子をいじれば、なんとか金を作ることは可能、と書かれていました。しかし、費用対効果がとんでもなく悪く、何のために金を作るのか訳が分からなくなってしまう。
      幹細胞プロジェクトでも、万が一成功する技術が開発されても、やたらと費用と手間がかかるようならば、結局実用化には至らないのではないでしょうか。
      | kitanohifukei | - | 20:49 | - | - | - | ログピに投稿する
      はるちゃんも「姫」だった・・・
      0
         数日前、突然、なっちゃん(コザクラインコ)の行動がおかしくなりました。
        かごから出て、人のうでに止まったなり、なんだか「ぼーぜん」としています。
        いつもならば、かごから出されると勢いよく、こたつの上の紙類をかじりまくるのに、
        その日は、そのような行動もなく、
        おやつをねだることもなく、ただ「ぼーぜん」。
        いつもならば、20分も遊ぶとおなかが減ってかごに戻るのに、
        なにをするでもなく、ただじっと空中を見て、腕に載っていました。

        かたや、はるちゃん(ボタンインコ)。
        その日は、巣から全く、出てこない。

        時間が来たのでなっちゃんをかごに戻し、バスタオルをかけて寝ました。

        翌日、なんと、かごの中に卵が一つ。
        あ、そうだったんだ。
        はるちゃんが卵を産んだのです。

        表現が難しいのですが、卵は「巣」の中ではなく、「かご」の中に落ちていました。
        実は、藁でできた「巣」、4たび鳥たちに食いちぎられ、よれよれになって、崩落寸前になっていました。。
        巣の中で産み落とされた卵は、コロコロと転がって、巣から落ちてしまったようです。
        かわいそうなはるちゃん。
        生まれたばかりの卵は、抱かれる前に転がり落ちてしまいました。

        翌日もう一つ卵を産みましたが、新しい巣が到着するのに間に合いませんでした。

        というわけで、我が家のインコは二羽とも「姫」ということが発覚。
        これで「生まれる」心配はなし。
        うれしいような、残念のような・・・

        それにしても、はるちゃんが初産を迎えたその日のなっちゃんの放心、あれはなんだったのだろう。
        心配だったのか、ショックだったのか、どうしてよいのかわからなかったのか。

        卵がなくなり、2羽は、いつもと同じく、なかよしこよしで遊んでいます。

        インコたちはお話が大好きです。
        腕にとまったはるちゃんに、「むかしむかしあるところに・・・」とお話を始めると、
        かならずなっちゃんが飛んできて、並んでお話を聞きます。
        つぶらな瞳で私を見つめ、仲良く並んでお話を聞いている2羽。かわゆいものです
        | kitanohifukei | - | 23:27 | - | - | - | ログピに投稿する
        受験が終わり・・・
        0
           

          次女の大学受験が終わった。1月から3月後半まで、非常に長い受験だった。

                                                      

          娘の受験成績は2勝1敗。最大の「武器」として使えるはずだった数学には、センターで笑い、本試で泣いた。本試で落ちたのは数学の不振が原因だった。最後の2か月、過去問は安定して解けていたのに・・・

          母「あんなに自信あった数学なのに、どうして最後の最後でだめだったんだろうねえ」

          娘「たぶん、自分じゃ意識していなかったけど、緊張してたんだよ。緊張すると地が出るんだとおもう・・・」。

          何はともあれ、後期で合格した大学へ進学することとなり、一件落着。

           

          大学受験の間、娘は人が変わったように「丈夫に」なった。

          彼女はいつも朝が弱く起きられない。年がら年中花粉症(?)で鼻をグズグズいわせている。若いのに、しょっちゅう頭痛だの、腰痛だのを訴えていた。それが、受験最後の半年間、これらの症状がピタッと止まったのだ。朝は必ず6時に起き、きりっとした表情で朝勉強。元気に学校へ向かい、塾で夜10時過ぎまで勉強。11時半就寝。判を押したような生活を週に7日間繰り返した。なぜか花粉症の症状は現れず、頭痛腰痛もなくなり、インフルエンザもノロも近寄らなかった。受験が終わった途端、激しい花粉症に見舞われたのは、季節のせいか気がぬけたせいか。

          鬼門の数学では、最後に何か「光」のようなものが見えた。夏に文転してからスタートした日本史世界史では、スポンジが水を吸うように知識を吸収していった。「毎日楽しくてしょうがない。こんな楽しい受験生でいいのかなあ」などと言っていたのは、まんざら自分を鼓舞するためだけではなかった。学び、理解することがこんなに面白いことだと知り、今までの自分を突き抜けるような体験をした半年だった。

           

           具体的な目標がなくなると「地」に戻るのか。単に緊張が解けただけなのか、受験期の颯爽たる姿はどこへやら、こたつでダラダラと寝ている娘を見てると、あの緊張が懐かしくなる母でした。

          | kitanohifukei | - | 22:35 | - | - | - | ログピに投稿する
          エステ脱毛について
          0

            受験はうまいくような気がした。しかし、実は今、後期試験の結果発表待ち。総括は今週末となります。

            昨日、気になったのがこの記事。
             
            http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120318-00000509-san-soci

            エステでの脱毛が「違法」であることは10年以上前から時々話題になっている。
            「なぜ違法なのか」という点において、微妙な認識のずれがあるようだ。

            記者「脱毛をめぐっては、厚生労働省が13年、医師免許のない人がレーザーなどの光線を使って『皮膚内の発毛組織』を損傷させた場合は医師法違反、とする通知を都道府県に出している。」

            エステ経営者「経営者は調べに対し、施術でやけどを負わせたことは認めたが、「自分の店が使っている脱毛機は『毛乳頭』までは破壊しておらず、医師法違反にはあたらない」と容疑を否認しているという。」

            原口氏「永久脱毛は『毛乳頭』を破壊しなければあり得ないのでエステ店での『永久脱毛』は違法。」

            この3主張を総合すると、「皮膚内の発毛組織」=「毛乳頭」である。そして、エステの機械が「毛乳頭を破壊するかどうか」が違法性の分かれ目になっているかのように見える。毛乳頭とは、毛根の最も深い部位で、毛が棍棒状に太くなっている付近の組織である。

            ことをややこしくさせているのは、この15年ほどの間に「発毛組織」が毛乳頭ではなく、もっと上のほうの「バルジ領域」であるという認識が主流となってきた点である。
            Rox Andersonという物理学者は、現在のほとんどの医療レーザーの礎を作ったような人である。この人が2001年に、「毛乳頭を破壊させるのは『一時的脱毛』、バルジ領域を破壊させるのは『永久脱毛』(の可能性が高い)」と論文で発表した。それ以降のほとんどの脱毛レーザーは、バルジ領域を破壊する出力条件を搭載するようになった。
            となると、「毛乳頭の破壊」にこだわる限り、エステ経営者の主張は有利になる。エステ経営者の言うとおり、「エステの機械は毛乳頭までは破壊しない(つまり、もっと浅いところまでしか破壊していない)」ことが証明されれば、使用機械の構造的な違法性は問われなくなる。しかも、「永久脱毛」という目的達成と矛盾しない。限定された条件において、ではあるが、エステの脱毛でも永久脱毛できる。

            実際は、発毛組織が「毛乳頭か」「バルジ領域か」の問題は完全に決着がついているわけではない。厚労省の通知通り、具体化させずに、「永久脱毛できているのは発毛組織を破壊している証拠」とするほうが、エステ側には分が悪かったはずだ。

            私の推測だが、フラッシュ脱毛はもともと出力が弱い上、波長特性から考えると光エネルギーのかなりの部分が皮膚にとどまる。したがって、深い毛乳頭まで達する光エネルギーは相当減弱していると思われる。
            そして、「光エネルギーが皮膚にとどまる」という、そのことが「皮膚のやけどを起こしやすい」原因となっている。
            すなわち、フラッシュ脱毛被害では「毛乳頭に達するための深いやけど」ではなく、「皮膚にエネルギーが留まるための浅いやけど」の問題が圧倒的に多いはずだ。

            エステ店が医療レーザー並みのパワフルなレーザーを所有することは不可能ではないらしい。しかし、レーザーとは「破壊的な力」を利用して人体を変えてゆく機械である。まさに小さな「銃」である。それを誰に握らせたいと思うのか、施術を受ける人にはそれを考えてほしいと思う。

            | kitanohifukei | - | 09:31 | - | - | - | ログピに投稿する
            大学受験について考える・・・3
            0
               

              今日は高校の卒業式のため、半日お休みをいただいた。娘たちをここまで見守ってくださった方々には言葉で言い表せないほどの恩を受けた。教育に情熱をかけ、子供たちがしっかり成長してゆくことを祈念してくださった多くの先生方には心からお礼申し上げたい。

              学校での営みは「うまくいって当たり前」と思われがちである。本当は、日常の営みを平穏に過ごさせるためには、並大抵でない努力と忍耐の積み重ねがあったはずだ。

              私がこれから書くエピソードは、「変わった出来事」である。だから書きやすかった。自分への反省を込めてだが、「書かれること、書きやすいこと」は、森を見ているのではなく、一つの小枝の観察記録に過ぎないことが多い。

              平穏な日常は、なかなか書くネタにはなりにくいため具体的に書きづらいが、これこそ何事にも代えがたいものであり、本日この日を無事に迎えられたことを感謝している。

               

              高校数学の醍醐味は、「ワクワク感」を味わうことに尽きる。そのためには、非暗記型の数学を会得させるのが正攻法だ。しかし、非暗記型の数学を最終目的として教育することは、ものすごく難しいことだと思う。書店に並ぶほとんどの参考書は、「この問題にはこの公式を適用しよう」「この公式は重要だからゼッタイ覚えよう」というノリで書かれている。これらの本の通り素直にやってゆくと、必然的に暗記型になる。(そもそも非暗記型はそのような参考書を買わない)。私自身の数学は非暗記型だったが、同じ教師に学んだ旧友の何人かは、暗記型数学をしていた。結局、暗記型か非暗記型かは、教え方には関係なく、教わる時点で生徒が持っている性向が決定するのかもしれない。ましてや15歳まで暗記型でやってきた子を方向転換させることは至難の業である。

               

              ところが、筋金入りの暗記型数学少女であった次女が、最終的に、非暗記型数学を楽しむことができるようになった。

               

              松尾光徳先生との出会いは、3歳年の離れた長女の高1時代にさかのぼる。(ご本人に許可をいただいたので、実名で書かせていただいた。)

              びっくり仰天の出会いであった。

              松尾先生は溝の口にある塾の経営者兼塾長である。その年の春は塾の生徒さんが驚異的に少なく、倒産の危機に直面していたとのこと。そこで先生は、「部屋の中で待っていてはいけない、外へ出て生徒を引っ張ってこなければ」と、娘の学校の近くで「路上講義」をはじめられた。ホワイトボードを持って道路を通る生徒たちに問題を吹っ掛ける。「これができたら消しゴムあげるよ」。

              当時、長女は化学が全く分からなくて困っていた。何がどう困っているのか、さっぱりわからないが、とにかく困っていた。私には娘に十分教える力がない。そのとき、松尾先生の路上パフォーマンスにみごとに「ひっかかった」のだ。「勉強教えてあげるよ」といわれて、のこのこついて行ったらしい。その晩、娘がなかなか帰ってこない。心配していると電話があり、友人と二人で体験授業を受けているとのこと。10時ごろだったか、ようやく帰ってきた「体験授業、ものすごく楽しくてよくわかったよ。私たちしかいなかったから、ずっと授業してくれた」その日だけで5時間以上、無料の講義を受けたらしい。長女はその週、タダの体験授業に入り浸った。私はそんな怪しい塾に入り浸り、勧誘を受けていることにハラハラしていたが、「大丈夫、これ体験授業だから」と娘は意に介しない。授業がわからなくて暗い目をしていた娘が「開眼」し、目がキラキラ輝いていた。彼女の化学への理解は爆発的に伸び、成績は向上した。

              念のために、一般的に心配されるような怪しいことは全くなく、ただ、松尾先生が標準的な教育方針とは少し違った教育視点と生き方をしているだけだということをお断りしておく。

               

              それから3年を経て、数学で悩んだ次女が松尾先生の門をたたいた。そこで出会ったのが、きっぱりとした先生の方針。

              「暗記型数学はダメ。非暗記型にすること」。

              私と違うのは、私が「暗記型でも仕方がないかも」と、現実と妥協してしまうのに対し、松尾先生は「ダメなものはダメ」と徹底していること、さらに、暗記型を非暗記型に変えてゆくための、ご自分の方法を持っていらっしゃること。これは考えれば大変なことで、3年も5年も前に戻って数学への考え方を変えてゆかねばならない。私は、自分が娘の数学に望むと同じ方向を示してくださった先生に(実際は本当にそんなことが可能かどうか疑心暗鬼ではあったが)、娘の勉強をゆだねることにした。

               暗記型数学から非暗記型に転向するとき、しばらくの間、考査の点数は下がる。これは診療で言えば、それまでで病状をマスクしていた「対症療法」をやめたため、一時的に真の病状があらわになるのと似ている。もともと良くなかった得点がさらに低迷した。

               低迷から抜け出すのには時間がかかった。高校3年の夏までに「改造」が追い付かなかったのが、理系から文系へ転向する一つの理由となった。

               ところが、高校3年の秋、突然花が咲いた。娘が顔を輝かせて「数学がわかってきた」と言う。こうなればフィーバーが起こったのも同然で、やる問題やる問題、ジャラジャラと面白いように解けてゆく。連勝を重ねるようになり、一気に数学が楽しくなった。

              | kitanohifukei | - | 23:05 | - | - | - | ログピに投稿する
              大学受験について考える・・・その2
              0
                 

                 あたかも前回の私のブログに呼応してくださったかのように(!僭越ながら)310日に内田樹さんのブログでこのように書かれていたので、引用させていただく。

                 

                『私が30年の教師生活の経験から言えることは、教育において、教師からの「働きかけ」と学ぶものが示す「成果」(もっと散文的に「入力」と「出力」と言ってもいい)の相関は「よくわからない」ということである。ある学生にとって「学びのトリガー」となったような働きかけが別の学生には何の感動も与えないということがある。こうすれば必ず学びが起動し、学生たちの知的ブレークスルーが始まる、というような「一般的な」教育技術というものは存在しない。残念ながら。

                人間は実に多様なきっかけによって心を開き、心を閉じ、学び始め、学ぶ気力を失い、成長を開始し、退行する。私たち教師が言えるのは、「経験的に比較的効果的な方法が存在する」ということだけである。その方法さえ教師ごとにみな違う。だから、教師たちが集合的に「正しい教え方」について合意形成するということは決して起こらない』

                同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる』

                 

                 つまり、ベストの教え方、などを求めるのは初めから間違っているということだろう。

                 

                 次女は我が家で初めての「文系」人間である。私は人を理系だの文系だのと2分類し、レッテルを貼ることに基本的に抵抗感を感じるのだが、どうも娘たちの姿を見ていると、人間には文系的傾向と理系的傾向があるのではないかと感じる。一番違いが出やすいのが数学だと思う。

                 やばい、と思ったのは、小学校高学年の時。私が「虫食い算って面白いよ」というと、「どこが面白いの?わけわかんなくて大嫌い」という返事。たぶん、このころ、いやもっと前から、数字に興味がない性質ができていたのだろう。それでも、まずまずの成績を取っていたので、いずれ何とかなるさと、高をくくっていた。

                中学校3年ごろだった。高得点の定期考査とは対照的に、模試の数学で惨憺たる成績が続いた。どうして模試だとダメなのか、不思議に思って聞いたら「だって、前にやったところは覚えていられないんだもん」と言う。ここでようやく気付いた。彼女は「暗記型数学」をやっていたのだと。公式、問題、解答パターン、全部暗記してテストに臨むと言う。母はびっくりしてあっけにとられてしまった。テスト範囲が決まっている定期考査は万全だが、記憶はすぐ消えるので、模試は全滅ということらしい。
                 その時から口を酸っぱくして「公式は覚えるな、その都度導くこと」「問題を覚えちゃいけない」と言ったが、「暗記したくてしてるんじゃないんだよ。やってると、自然に暗記しちゃうんだ。」との返事。暗記が大の苦手の母にはまったく理解できない娘。そして、成績はずるずると下がっていった。私にはこの事態を修正する手段がわからなかった。のみならず、「これは私と違う能力かもしれないので、いたずらにいじるべきではない」と思うこともあった。そうこうするうちに、定期考査のほうにも手が回らなくなり、ずるずると成績が下がっていった。

                 

                内田樹先生の理論からすると、娘は、娘の個人的要因により、誰の数学授業を受けても理系数学をする運命ではなかったということになる。おそらく、もともと理系的傾向のある子は、同じ「暗記型数学」の授業を受けても、そこに法則を見つけ出して「少ない知識から導いてゆく数学」のパターンに落とし込んでしまうのだろう。文系の子は、無理に修正せず、得意な暗記力から攻める「暗記型数学」が正解、という考え方もある。

                 私の勝手な考えだが、「
                数学と遊んで、楽しみたい、ワクワクしたい」、という発想では、暗記型にはならないのではないか。次女は、もともと「数学を楽しみたい」という意識が希薄である。親は、あんなに面白い数学を楽しむことができないことを、ものすごくもったいないと思っていた。

                当時の娘は、苦しそうだった。やってもやっても、時間とともに、暗記したはずの公式がずり落ちてゆく。むなしい戦いだった。

                | kitanohifukei | - | 15:08 | - | - | - | ログピに投稿する
                大学受験について考える・・・その1
                0
                   

                  受験勉強、あるいは高校の教育課程は特殊な世界である。ほとんどの人にとって、微積分が将来の仕事に役立つことはない。現在、理科・社会は「選択課目」である。必須項目ではないので、日本史を知らないあるいは地学を知らない大学生も当然存在することになる。大学に入ると受験勉強で蓄えた膨大な知識の大半は無用となる。にもかかわらず、一大イベントたる大学受験のための勉強には、毎年膨大なエネルギーが注ぎ込まれる。
                   今年は次女の受験だったので、親の私も、多少熱し、受験について久しぶりに考えた。しばらくたてば忘れてしまい、他人事となってしまうだろう。「受験」について考えるのは人生でこれが最後だとと思うので、盛り上がりの気持ちが失せないうちに記録しておこうと、ブログに書くこととした。

                   

                  子供を持つ・育てるということは、もう一度自分の人生を生きるのと似たようなものである。子供が、かつて自分のたどってきたのと同じなやみ、喜び、苦しみ、課題に立ち向かうとき、自分の経験がどのように役立つのかを試す場ともいえる。私は子育て時代の初めにおいて、自分の悩み解決法が子供にも通用するだろう、自分は子供の導き方に対してちゃんとした「解答」を持っている、と思っていた。しかし、現実はなかなか思い通りにゆかなかった。

                  現代の高校で教える内容は私たちの時代とほとんど変わっていない。大学受験に絞っても、近代史や生物の一部を除くと、30年前に私たちがやっていた内容とほぼ同じであり、数十年にもわたって同じような問題プールから選ばれた問題が繰り返し出題されている。とくに、数学や物理は数百年前から繰り返されている問題ばかりである。ということは、「教える」という行為も数十年数百年にわたって同じことを繰り返している。そろそろ「これが決定版!!」というものができあがっていてもよいはずである。にもかかわらず、現実は必ずしもそうなっていないことに最近気づいた。

                  | kitanohifukei | - | 00:28 | - | - | - | ログピに投稿する
                  A先生の時代
                  0
                     50歳を迎えると、いままで思い出しもしなかった昔のことが次々と思い出されてきます。
                     
                     以前ご紹介させていただいた小学校担任だったA先生との間には、いろいろな確執がありました。
                     私が通っていた小学校は、富山平野が山へと立ち上ろうとする、その裾野付近にあり、のどかな田園風景が広がっていました。当時の級友には頭のいい子、勉強のできる子、運動が得意な子、字がきれいな子など、才能があふれた子はたくさんいたのですが、土地柄なのか時代のせいなのか、上の学校に行こうとか才能を伸ばそうという「欲」は全く感じられない雰囲気がありました。

                     私もそんな感じで、小学校時代は、高校とか高専に行ければいいなあ、との気持ちはありましたが自分の将来に「大学進学」という文字は一つもありませんでした。
                    他の子もそんな感じで、むしろ女の子は学校を卒業したら適当に働いて早く嫁に行け、という考えが普通だった時代と地域でした。

                     私の両親は娘に何か自活できるだけの職を身に着けてほしいと言っていました。ただ、それが何なのか、ものすごく漠然としていまして、
                     和裁の先生がいいんじゃないか、体育の先生は?看護婦は?学校か幼稚園の先生は?医者になれればそりゃいいけどね、ずいぶん現実味のない話だね、宇宙飛行士?そりゃ無理だよ。幸恵は字の才能はないからお習字の先生は無理みたいだし・・・

                     そういうまったり空気の流れを変えたのはA先生でした。
                     私たちとA先生が激しく対立する中で、「お前たちみたいなやつらは、はどうせ付属(富山大学付属中学校)の試験を受けても通らんやろ」と啖呵を切られたので、よし、こっちも受けて立ったろうじゃないか、と燃えて、勉強を始めました。私が選んだテキストは今も売られている「自由自在」一冊。この参考書にはお世話になりました。
                     結果は女子で一位の成績で合格し、入学式の答辞を読むことになりました。「そーら見たことか」、と見返した「ツモリ」になりましたが、我ながら恥ずかしいほど幼かったと思います。
                     
                     このブログは小学校の級友も読んでくれていて、昨年O君からA先生を囲む会での先生の「レジメ」を送ってもらいました。いつ読んでも感動なので、とりあえずその一部をご紹介させていただきます。

                    「君たちと出会ってから40有余年。深い絆とともに作り上げた思い出は忘れられない。新米教師であった私は、育てることの『厳しさと愛』を標榜し、教育への情熱に燃えていた。・・・」
                     どのような仕事であれ、「情熱に燃えていた」と、真面目に語れる人は数少ないのではないでしょうか。まさしく私たちもその情熱の嵐に巻き込まれ、熱い幼年時代を送りました。いまはぬくもりのように温かく思い出されるひと時です。

                     人の人生って、時代と出会いでとんでもない方向に変わるものだと思います。永続的に、継続的に、いつまでも、将来は・・・なんて考えてると、貧相になりそうなので、今この時を一生懸命生き、かかわってくださる皆様を精一杯大切にして頑張ってゆきたいと思います。
                    | kitanohifukei | - | 09:22 | - | - | - | ログピに投稿する
                    受験の旅は出会いの旅
                    0
                      本日は国立大学試験前夜。
                      次女は都内の受験なので、家でのんびりしています。
                      私は30ウン年前の自分の受験を思い出して、娘に思い出話をしました。

                      富山の田舎から東京への受験の旅は、私にとって、初めての一人旅でした。
                      東京大学を受験するために東京へ、さらに、私立医大で唯一国立並み授業料の産業医科大学を受験するために新幹線を乗り継ぎました。
                      トータルではかなりの長距離旅行です。
                      倹約第一の実家では、普段列車に乗るときは、鈍行、良くても急行でした。
                      初めて乗る富山東京直通の特急白山。これは受験生へのフンパツ、だったのです。

                      受験2日前、一人旅のワクワク冒険気分で富山を離れました。
                      受験生の中には同じように浮かれ気分の人も結構いて、妙にお友達ができた旅でした。

                      まず、行きの白山(さながら受験列車)。隣に座ったのは同じ県内の高校の受験生。
                      6時間の旅の間、それぞれの勉強をするどころか、なぜかこの初対面の男の子と話が弾んでしまい、その後も何度か会うことに。

                      東京での宿は、参宮橋にある、もと東京オリンピック選手村(受験生のために開放)。1泊2食800円ぐらいで泊まれました。
                      今でも参宮橋で小田急線を降り、線路沿いにトコトコ歩いて受験生村に入っていったのを覚えています。
                      部屋は当然4人だか8人だかの2段ベッドが並ぶ大部屋。
                      若者同士は受験という環境でも仲良くなっちゃうのですね。
                      レトルトをゆでたようなハンバーグをつつきながら、どこから来たの、どこを受けるの、東京はどういうところだなどの話で弾み、受験が終わった後もワイワイ騒いでました。

                      国立の受験が終わると翌日は移動日。東京駅から東海道、山陽新幹線を乗り継ぎ、小倉へ。
                      旧国鉄の時代で、ひっきりなしに車内販売がとおっていました。
                      これは、かなり長時間の旅で、すごく疲れました。
                      小倉へ着いたのはすでに日が暮れてから。

                      産業医大は100人募集のところ3000人が受験し、ほとんどの受験生は民宿に泊まりました。
                      私の泊まった小さな民宿も満員御礼。
                      ここでも、全国各地から集った若者たちは、こたつを囲んで楽しく語らいあう受験前日をすごし、
                      一緒に受験場に向かい、受験が終わるとみんなで太宰府天満宮にお参りにいって、それぞれの地方に帰りました。

                      明日は寒くなりそうです。
                      外では寒くても室内は暑いかもしれませんので、
                      調節できる準備をして出かけましょう。

                      | kitanohifukei | - | 20:27 | - | - | - | ログピに投稿する
                        12345
                      6789101112
                      13141516171819
                      20212223242526
                      2728293031  
                      << May 2012 >>

                      このページの先頭へ